プロフィール
みなさん、こんにちは!ランニングサイトを立ち上げました松田芳和と申します。
埼玉県熊谷市で「まつだ整形外科クリニック」を開院しています。
5年ほど前から走り始め、2012年の東京マラソンで目標だったサブ4を何とか達成しました。その後はタイムこそ更新できませんが、
古傷と相談しながら時間を見つけて楽しく走っています(^^
そう、楽しみながら走るFun Runをモットーに、
故障しても走りながら治すことを提唱しています!
このサイトが少しでもみなさんのお役に立てれば幸いです(^^
スポーツ歴
●小学校 行田市立東小学校 柔道と野球
駈けっこは速い方で、いつも運動会ではリレーの選手、冬場のマラソン大会でも5番以内でした。
6年生の時に、連合運動会の選手に選ばれ、がむしゃらに頑張ったことと、当時流行っていた縄跳びの2重跳びにはまり、負けず嫌いの性格が災いして飛びすぎ?て左脛骨の疲労骨折を起こしました。これがその後のスポーツ人生に大きく影響することになります(涙
近所の幼馴染のお父さんが柔道の先生だった縁で、柔道教室に通っていました。小学2年くらいから3年ほどやっていたと思います。高学年からは少年野球チームに入り、週末は野球をしていました。ちなみに当時はサッカーは全く流行っていませんでした。
●中学校 行田市立長野中学校 剣道
左脛骨の疲労骨折を生じてから、全力疾走が出来なくなり(それでもそこそこ速い方でしたが)長距離走では時々痛みを自覚するようになりました。ムリして強い痛みを生じ荷重できなくなり、ギプス固定を行ったことがありました。今から思うとその治療って???(^^;
結局、中学時代は脚力が必要ないと思われた(実は必要だったが)剣道部に入部。ところが、小学校から習っていた剣士には歯が立たず、たまにけが人が出た時にレギュラーで団体戦に出れる程度で全く活躍できませんでした。
屋内の暑い中で汗臭い胴着を着ての稽古、寒くて冷たい真冬の寒稽古。試合にもあまり勝てずにモチヴェーションも上がらず、盛り上がりに欠けた中学時代でした。それでも何とか3年間続けたことと、初段をとったのが唯一自分を褒めれることでした(–;
●高校 県立熊谷高等学校 硬式テニス
中学時代の反省?を生かしてとにかく屋外スポーツで気持ち良い汗をかきたいと、これまた未経験の硬式テニス部へ入部。
当時は同好会でまったりしていましたが、それでも試合に勝てるようになってくると楽しくなり、日が暮れるまでどっぷりテニスにつかりました。
成績は県大会までもう一歩でしたが、残念ながら出場できませんでした。男子校であり、汗臭さは相変わらずでしたが、それでも部活はもちろん、すべてが楽しかった高校生活でした。
●大学 富山医科薬科大学(現富山大学) ヨット
高校時代に家族や弟と越後湯沢にスキーをしに出かけていたこともあり、大学ではスキー部が一つの有力候補でした。
富山は海と山に囲まれており、埼玉ではできないスポーツをしようと決めていたからです。
ヨット、ウインドサーフィン、スキーで迷いましたが、たまたま当時のヨット部主将を務めていた先輩が熊谷高校の先輩とわかり、自動的?半強制的にヨット部入部が決定!それから大学の青春=ヨットというほどのめり込み、頑張りました。
富山は医科大学大会では西日本に属していましたが、その西日本医科大学大会では常に後ろから数番という弱小チームでした。部員数も少なく、楽しく安全に!がモットーのような部活でした。性格的に負け嫌いな私はとにかく強くなりたいとの想いで、練習量を増やし、他大学との合同合宿などを行い、結果として5年時に富山県の470クラスで1番となり山形国体に出場しました。
何気に国体選手です(^^
とにかくヨットが一番、バイトが2番みたいな学生でした(汗
それでも本当に楽しい学生時代でした。もちろん、冬はスキーを楽しみました(笑
そして何とか6年間で卒業、国家試験も通りました(^^
●社会人 整形外科医師として~
整形外科医は運動器疾患を診ますので、当然スポーツ外傷・障害を診る機会があります。当時はスキーよりもスノーボードが流行ってきており、周囲ではボードに没頭する人もいましたが、重度のけが人を診る機会多くなるにつれて怖くなり、徐々に時々スキーを楽しむ程度になっていきました。
富山で国体が行われた時には、ヨット担当のドクターとして仕事をさせてもらいました。
整形外科医になってからは、個人的にスポーツを楽しむことが少なくなる一方でスポーツをする人たちに関わるようになっていきました。
多くの先輩医師のおかげで、バスケットbjリーグの会場ドクターやサッカーJ1、中学、高校、大学ラグビーのグランドドクターとして参加させていただくようになりました。
●走り出すきっかけ
2007年、約7年勤務していたクリニックを退職し、湘南鎌倉人工関節センターに転職することになりました。
いろいろな困難が待ち受けていると覚悟しての転職だったので、何か自分を追い込み、達成してから転職したいと思うようになりました。
そんな時、当時の職場の先輩が走っていることを聞き、刺激され地元のマラソン大会ハーフマラソンにエントリーしました。
それで練習を始めたのが走り出すきっかけです。
●初フルマラソン
ハーフマラソンは13キロ以降から疲労骨折部の痛みと戦いながらの走りとなり、残り3キロは歩くだけでも痛い状況。それでも何とか2時間10分ほどかかりましたが、完走できました。
やはり長距離走はダメだという気持ちと、完走した後のおいしいビール、そして自分よりもはるかに年配のランナーが物凄く速いタイムで走っているのを知り、悔しさもこみ上げてきました。
それでも当時は疲労骨折を完治させないと走れない状況で、しばらく走ることはなくなりました。
転職後、家族旅行をかねてハワイに行こうと決めた時に、せっかくだからとホノルルマラソンにエントリーしました(完治していないのに…)制限時間もないし歩いてであれば完走できるだろうと。
結果、完走できたのですが、やはり骨折部の痛みが出てきてやっとの思いで完走。タイムは何と5時間37分でした(恥 レントゲンでは癒合不全。つまり完全にはくっついていない状況だったのです。手術をするか、走るのをやめるか悩みました。
●手術と再骨折
2年後の東京マラソンに当選してから本格的に練習開始。骨折部も大丈夫だろうと始めましたが、やはり10キロほど走ると痛みが出てきます。結局その年の年末に先輩に手術をしてもらいました。髄内釘と横止めのスクリューで固定してもらいました。
ちなみに今でも金属が入っています(汗
そして癒合を確認して走り始めて3か月後、再び激痛が。。。なんと髄内釘に沿って再骨折しました。長年の経過の中で湾曲が強い形状となった脛骨の中に髄内釘を入れてあったので髄内釘の形状に沿って骨折したのです。またまた3か月ほど走れなくなりました。
ちなみに歩行はできるので仕事はしっかりしていました。念のため(^^;
●走れる喜び
開院してからいろいろ経験しました。
親族の入院や同級生の死。東日本大震災。
台風に伴った竜巻では近所の家屋が全壊などの被害を受けました。
そこで健康であることの幸せ、あらためて走れる喜びを強く感じました。
走れる環境にある自分が幸せだと。
そこで、また少しずつ走り始めたのです。
●サブ4達成
2011年の東京マラソンでサブ4を達成しました。
目標に頑張ってきたので達成感と充実感で満ち溢れました。
大好きなビールも1週間前から断酒。ゴール後は浴びるほど飲むぞ~っと楽しみにしていましたが、コップ1杯でダウン。
翌朝まで爆睡でした(苦笑 まあ、それだけ力を出し切った結果だと思っています。
●現在
私の左足は右と比較して1.5cm短く、大腿周径は3cmほど細くなっています。脚長差があるので、どうしても走りが不安定で無駄な筋力を使い、疲れる走りとなります。スピードもでません。
ですから最近はゆっくり楽しんで走ることを目標にしています。また、NPO法人の日本医師ジョガーズに入会、地元のマラソン大会などで救護の仕事もしています。
●今後~
今回のランニングサイトも整形外科医として、市民ランナーとして、怪我を経験した個人としてのそれぞれの視点から多くのランナーの役に立つ情報を発信していきたいと考え立ち上げました。
また、ランナーだけではなく、スポーツの携わる方々の健康についてもサポートしていきたいと考えています。
長々としたプロフィールを最後までお読みいただき有難うございました!
★整形外科医としてのプロフィールもどうぞ!(笑
プロフィール
1967年8月2日 | 富山県富山市生まれ 埼玉県立熊谷高等学校卒業 1浪後、東京理科大学薬学部入学(1年で中退) |
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1994年 | 富山医科薬科大学(現富山大学)医学部入学 |
1995年 | 富山医科薬科大学麻酔科研修 |
1996年 | 軽井沢病院整形外科 以降、大学関連病院勤務 |
2000年 | 埼玉県葦の会 石井クリニック |
2003年 | ドイツ Vulpius Clinic短期研修 |
2005年 | アメリカ合衆国 Florida Tampa General Hospital留学 |
2007年 | 湘南鎌倉人工関節センター 人工関節部長・研究開発部長 オーストラリア・パースにて最小侵襲手術(MIS)人工膝関節置換術研修終了 |
2010年5月1日 | 医療法人社団nagomi会 まつだ整形外科クリニック 開院 |
主な受賞
2001年 | 立山セミナー セミナー賞受賞 |
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2005年 | 欧州整形外科学会(EFFORT)にて最優秀演題賞受賞 |
2006年 | John Insall Traveling Fellowship アジア・環太平洋代表として選出 (毎年世界から4名選出:日本人で2人目) |
2007年 | 日本整形外科学会代表:40歳以下 Traveling Fellowship選出 (毎年1名のみ選出) |
主な資格
- 日本整形外科学会認定専門医
- 日本整形外科学会リウマチ専門医
- 日本体育協会認定スポーツ専門医